先日、夏休みを取りましたが、コロナウイルスの感染自粛のため、今年は自宅の埼玉県外に出ず、宿泊などもしない方がよいと思い、密でない場所、埼玉県行田市へドライブに行って参りました。 埼玉県行田市と言えば、足袋の街として有名ですね! ・・・え?ご存じないですか? 小説家・池井戸潤さんの「陸王」の舞台です! ご存じでしたね?笑 あとは、ご当地グルメ、「ゼリーフライ」 私は食べたことないので、割愛させてください(汗) そして、一番有名なのが、、、忍(おし)城! 埼玉県内の、お城、続日本100名城の忍城と、その周辺へ! 個人的に、「その周辺」の方が実はメインなのです! まず、忍城ですが、数度の城攻めを受けながらも、一度も落城したことが無い、不落の城として有名です。 かの、上杉謙信も落城させられませんでした。 中でも、1590年、豊臣秀吉の北条氏に対する小田原征伐の際、北条方であった忍城を、石田三成率いる軍勢に、水攻めを受け、それに耐え抜き、戦上手の豊臣秀吉が唯一、小田原征伐で落とせなかった城とされています。 映画「のぼうの城」の舞台となったお城です。 忍城:埼玉県行田市本丸17-23 さて、この忍城に対する水攻めですが、豊臣秀吉の命を受け、指揮を執った 石田三成ですが、前田利家・真田昌幸・上杉景勝らと共に、さきたま古墳群にある、丸墓山古墳の山頂に陣取りました。 さきたま古墳群:埼玉県行田市埼玉4834 ※ちなみに埼玉の地名発祥の地です そうなんです、これを見に行きたかったのです! 丸墓山古墳です。 この高台に陣を取り、水攻めにしたわけです。 山頂から、忍城方面を眺めています。 拡大すると、忍城が見えます! 正にこの場所で、430年前、石田三成や、前田利家、真田昌幸、上杉景勝・・・錚々たる戦国武将が、なかなか落城しない水の中の浮き城を見ながら、苛立っていたのかと思うと、感慨深いものがあります。 石田三成が、どのように水攻めを行ったのかというと、川に囲まれた忍城の、川の下流にあたる南側に、堤を築き上げ、北側の川から水を引き込みました。 しかし、思ったように、水が増えず、大きな被害を与えられない三成陣営。 そんなある日、大雨が降り、川が増水。 いよいよ、大きな損害を与えられると、三成は思ったことでしょう。 しかしながら、大雨により築いた堤は決壊し、堤の外側に居た、三成陣営の兵士に多くの犠牲者がでて大打撃を受けました。 さらに、ぬかるみも増え、攻めにくくなってしまい、結果的に、北条氏の本拠、小田原城が開城、北条氏が滅亡してもなお、忍城は守り抜かれました。 攻め手、守り手、どんな思いで戦ったのでしょうか。 ありがたいことに平和な今日では、推し量ることができません。 石田三成が築いた、「石田堤」が残っていますので、そちらも訪れました。 石田堤史跡公園:埼玉県鴻巣市袋地内 堤ですから、派手な建造物があるわけではないです。 周りの土地より高くなっているところが、ずっと続いています・・・ と、これだけかと思いきや・・・ お分かりになりますでしょうか、ガラス越しに堤の断面が見られます。 写真の右側が忍城側。左が三成ら攻めて側です。 左から右に掘った土を重ねるように造っていますので、右上がりの斜めの地層になっています。 そして、 実は結構な、建造物もあるんです! 豊臣、石田、北条などの家紋や旗印も見られます。 この櫓の下に行くと、忍城の水攻めの説明ナレーションが流れます! 上方の高架は新幹線なのですが、新幹線が通ると、石田三成に扮した、大和田伸也さんの声が流れる仕組みになっている画期的なすごい仕掛けです! ・・・当日は不調で、大和田伸也さんの声は聞けませんでしたが・・・ そしてこの公園のすぐ近くの川にかかる、堀切橋。 ここが、大雨の際に石田堤が決壊した場所とのことです。 土木遺産にもなっている、立派な橋でした! と、このように、当時は皆、決死の覚悟で臨んでいた決闘だったかと思いますが、ほんの少しその凄まじさ、悲しみや苦しみ、喜びなど、430年前を偲ぶことができました! 良い1日を過ごせました。 おっと、忘れてはいけない、埼玉県民の合言葉「♪風が語りかけます~」と言えば、 「うまい、うますぎる!」 の、十万石まんじゅうの本店にも行って参りました!笑 十万石ふくさや 行田本店:埼玉県行田市行田20-15 蔵造りが立派でした! 今回の行田散策は、まさに「うまい、うますぎる!」でした~♪ お後がよろしいようで~笑 |
嘉生 智昭