ついにこの時が来てしまいました・・・ 寝台特急「カシオペア」、最後の運行、26年の歴史に幕・・・ 鉄道ファンならずとも、このニュースはご存じのことと思います。 2025年6月30日、仙台から発車した、寝台特急「カシオペア」は、上野駅に到着し、長きにわたる旅の最終章を迎えました。 昨年、私のブログで、このカシオペアが車両の老朽化で走らなくなってしまうという噂があることを書きましたが、ついに現実のものになってしまいました。 カシオペアは上野と札幌を結ぶ寝台特急として1999年7月16日に運行を開始。 列車名は星座のカシオペヤ座に由来しており、当時運行していた寝台列車「北斗星」と対になり、夜を駆ける列車のイメージというほかにも、全室2人部屋、オール2階建てという「ダブル」を売りにしていたことなどから、Wの形に似ているカシオペヤ座にちなんだとのことです。 1日1本の運行で、上野と札幌を約17時間をかけて結び、先頭車両の展望室になっているスイートルームからは流れる夜景が楽しめ、また食堂車ではフランス料理や懐石料理といった豪華な食事を味わうことができる、まさに列車そのものを楽しむ豪華寝台特急でした。 北海道新幹線開通に伴い、定期運行を終了しましたが、不定期のツアー列車として、その後も走り続け、その人気も衰えることがありませんでした。 むしろ、機関車が牽引する客車スタイルの寝台列車という点で、たいへん希少な存在でもあり、鉄道ファンにとっては無類の憧れとも言える存在でした! まさに巨星。これ以上の鉄道は、もう二度と現れないかもしれません・・・。 そんなカシオペアのラストランを目に焼き付けようと、往路の上野発仙台行と、そして復路の最終列車・仙台発上野行を、大宮で見届けてきました! 往路は2025年6月28日夜23時、妻と大宮駅へ向かいました。 妻は以前、私の誕生日にカシオペア乗車のプレゼントをしてくれて、一緒に乗車したこともあります。(その時のブログはこちら) そういうこともあり、妻もカシオペアには思い入れがあり、その後も何度か一緒に沿線へ見に行ったりしておりました。 大人気の「カシオペア」の見納めの日、大宮駅11番線ホームは多くの人で溢れかえっていました。 カシオペアの入線。 力強く響く機関車のエンジンのブロワー音に耳を傾けながら、無心でシャッターを切る人、じっと撮影する人、それぞれが思い思いの形でお見送りをしていたように思います。 私は「カシオペア」の最後尾に灯る赤いテールライトが見えなくなるまで、ただ黙って動画を回し続けました。 昭和時代、多くの夜行列車が東北や北陸へと旅立っていった光景は、いまや過去のもの。 時代とともにその数は減り続け、そしてついに、この瞬間・・・夜行客車特急が完全に姿を消してしまいました。 一つの時代の終焉です。 夜の大宮駅は、煌めく駅の灯りと、「カシオペア」が過ぎ去った後に灯るの赤信号が、何とも言えない寂しさを漂わせていました。 見送る人々は静かに、思いを込めて最後の拍手を贈っていました。 ![]() ![]() ![]() 復路は2025年6月30日夕方、仕事終わりに急いで会社近くの線路際へ向かいました! 撮影スポットではありませんが、移動している時間もなく、上野へのラストランを待ち構えます。 走る「カシオペア」を見るのは、これが本当に最後です。 直線レールの先に、小さく前照灯の光が見え、ゆっくりと近づいてくる姿が見えました。 そして、目の前をゆっくりと通過していく「カシオペア」。 その光景を目に焼き付けながら、動画を回し、最後の雄姿をしっかりと見届けました! こんなに胸を熱くしてくれた「カシオペア」、本当にありがとう! 頼もしい重厚な轟音を立てながら走る機関車の後ろには、陽の光を受けてきらめくシルバーの車体。 まさに豪華寝台客車の風格を漂わせていました。 けれどよく見ると、車体の随所には、錆や塗装の浮きが見られ、それはまるで、26年にわたる歴史を物語る勲章のようでもありました。 その背中を見送ったあと、私は思わず「お疲れ様」と、そっと声をかけました。 この先も、このレールはいつまでもどこまでも繋がっていると思います。 けれど、その上を「カシオペア」という名の巨星が輝くことはもうありません。 それでも、このレールの上を、あの列車が誇らしく輝き、駆け抜けていった記憶は、これからもきっと、消えることはないでしょう。 ![]() ![]() |
嘉生 智昭